翻訳と辞書
Words near each other
・ 交響
・ 交響三章
・ 交響三章 (三善晃)
・ 交響三章 (芥川也寸志)
・ 交響幻想曲
・ 交響情人夢
・ 交響曲
・ 交響曲 (グリーグ)
・ 交響曲 (コダーイ)
・ 交響曲 (コルンゴルト)
交響曲 (サリヴァン)
・ 交響曲 (ショーソン)
・ 交響曲 (ジークフリート・ワーグナー)
・ 交響曲 (デュカス)
・ 交響曲 (パデレフスキ)
・ 交響曲 (ビゼー)
・ 交響曲 (ピツェッティ)
・ 交響曲 (フランク)
・ 交響曲 (モーラン)
・ 交響曲 (ラロ)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

交響曲 (サリヴァン) : ウィキペディア日本語版
交響曲 (サリヴァン)[こうきょうきょく]

交響曲 ホ長調は、アーサー・サリヴァンが作曲した唯一の交響曲。初演は1866年3月10日に行われた。この曲は、しばしば「アイリッシュ〔訳注:「アイルランド風の」。"Irish"。〕」交響曲と呼ばれる。
== 概要 ==
サリヴァンが交響曲の作曲に着手したのは、作曲家として駆け出しの頃の1863年であった。アイルランドで休暇を過ごした彼はこう記していた。「私は風雨の中、家への道を急いで引き返していた(中略)屋根のない二輪馬車〔訳注:アイルランドの二輪馬車。リンク先の英文記事の画像参照。(Jaunting car)〕に乗っていると、交響曲の第1楽章全体がアイルランド風の色合いで頭に浮かんできたのである。他の楽章の断片もこのとき一緒に現れた〔Jacobs, Chapter 4〕。」サリヴァンが後年記したところによると「私はずっとこの曲を『アイリッシュ交響曲』と呼ぶつもりでいたが、それは『スコットランド交響曲』と比較される元だったので〔例えば、メンデルスゾーンの「交響曲第3番」は『スコットランド交響曲』として有名である。〕、控え目にしておくことにした〔Young, note 17 to Chapter 3〕。」この表題が楽譜の表紙に書かれるようになったのは、サリヴァンの死後の1915年に出されたノヴェロ社(Novello & Co)の版からであった。
初演は1866年3月にロンドン水晶宮で行われた。この演奏会は人気の歌手であったジェニー・リンドが協賛し、さらにプログラムの前半で彼女が歌を披露したため、会場には3000人の聴衆が集まった。指揮を行ったのは、以前にサリヴァンの付随音楽「」のロンドン初演を受け持ったアウグスト・マンスであった。
交響曲の評判は好ましいものだったが、音楽評論家たちは当時から他の作曲家の影響を見出していた。タイムズ紙はこう論評している。「サリヴァン氏は1年と1日ほどの間、メンデルスゾーンベートーヴェンも、そしてなによりシューマンをきっぱり断たなければならない〔Jacobs, Chapter 5〕。」1960年にサリヴァンの音楽を研究したガーヴェイズ・ヒューズ(Gervase Hughes)も、シューマンとシューベルトの模倣を見出している〔Hughes, Chapter 2〕。
この交響曲はサリヴァンの生前は頻繁に取り上げられていたが、20世紀に入ってからは演奏機会に恵まれなくなった。しかし、近年になって再び注目を浴びるようになってきており、2006年10月の第1回イングランド音楽祭〔訳注:20世紀前半の演奏機会の少ないイギリスの作曲家の作品に、焦点をあてた音楽祭。BBCラジオで放送されることが多い。(English Music Festival)〕のオープニングコンサートではプログラムのメインを飾った〔Official website of the English Music Festival 〕。CD録音は4種類が入手可能で、新たな研究に基づく楽譜がドイツのMusikproduction Jürgen Höflichから出版されている〔絶版となっているノヴェロ社版の再版と、新版がこのリンク から手に入れられる。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「交響曲 (サリヴァン)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.